日影茶屋は、江戸中期、寛文元年、海の向こうに富士を望むこの葉山の地に峠の茶屋として創業いたしました。
この場所は「鐙摺」という呼び名があり、平安時代末期、まだ整備されていなかった海沿いの道を頼朝が訪れた際、険しく狭い道で馬の鐙が岩に摺れたことからこの名が付いたと言われております。日影茶屋の前には旗立山(軍見山)という小さな巌山があり、当時は三浦一族が築いた鐙摺城がございました。活承四年、石橋山の戦いに洪水の影響で参戦できなかった三浦義澄率いる軍が引き返した際、平家側の畠山軍と由比ガ浜で衝突、鐙摺城があったとされる旗立山にいた三浦制は旗を立てて鼓舞したとされ旗立山と呼ばれております。
このように、古くから歴史の舞台となっていた葉山の地に、江戸中期、日本橋小舟町から角田家は葉山に移り住んだと言われております。当時の葉山は農業や漁業が中心の静かな村であったものの、日影茶屋の前を通る道は、鎌倉と三浦半島を結ぶ重要な街道であったことや、近くの鐙摺港が江戸へ食糧を運ぶ役割を担っており、人々の往来が多くありました。日影茶屋はその街道を通る旅人にお茶や軽食を振う茶店として創業します。
明治に入り、日影茶屋は鮮魚を使った海鮮茶漬けなども振舞っており、茶漬茶屋の愛称でも呼ばれておりました。そして明治9年、旅泊渡世鑑札願を出し日影茶屋は旅館業を開始します。明治27年、葉山御用邸が完成すると、宮家と関わりが深い軍人や経済界の要人がこぞって葉山に別荘を構えはじめ、葉山は、これまでの小さな漁村から別荘地として名が広まるようになります。さらに、交通機関や旅の情報のなども普及し、観光を目的とした旅行が活発になっていきます。
明治30年に刊行された「江島鵠沼逗子金沢名所図会」(左)には日影茶屋が紹介されており、別荘を持たない都心からの旅行者の絶好の宿泊場所とあり、外国のお客様も受け入れる珍しい旅館との記載があります。葉山の高まる人気に合わせて旅館として日影茶屋が担う役割もさらに大きなものとなっていきました。
当時、小説の題材で取り上げられることもあり、明治31年に発表された川上眉山三浦半島の旅を描いた「ふところ日記」の一節に「日蔭の茶屋といへる名の優しさに其處に宿からん事を思ひ・・・」と描かれております。
大正11年、鹿沼石の外蔵(有形文化財)が建造され、その際、頻繁に暴風雨の影響を受けていた味噌などの調味料を保管する内蔵(現存)の持ち上げ工事などが行われました。
大正時代に入っても葉山の人気は衰えることなく、別荘の数はさらに増えていき、昭和の初めにかけて最も多くなっていきます。そして、別荘に関わる葉山の商店、大工、庭師などの需要が高まり、日影茶屋も同時に仕出しなどの依頼を受けるようになります。別荘の普及が葉山全体の生業を発展させた時代でありました。
当時は、多くの時の著名人もまた当店を度々訪れており、アナキストで知られた大杉栄も長期滞在をして海風を感じる客室で筆を走らせておりました。また、大日本帝国憲法の起草に参画するなど、明治から昭和にかけて活躍した金子堅太郎も葉山に別荘を構えており、頻繁に日影茶屋を訪れておりました。
昭和9年、母家の建て替えが行われ、日影茶屋は現在の建物となります。この建物は大正10年に建てられた外蔵と併せて平成23年登録有形文化財に登録され、今も旅館を営んでいた当時のままの姿を残しております。昭和の初め頃、8代目清作は料理人としての腕を買われ、当時、東伏宮別邸(現あけの星幼稚園)に出向いては妃殿下に料理を振る舞っておりました。戦後、別邸が進駐軍に占領された際には、妃殿下も日影茶屋の別館に宿泊をされたことがあったそうです。8代目は洋食にも精通していたことから、当時はトンカツやアジフライなどの料理も提供しており、カステラなどを作ってはお土産として提供しておりました。
太平洋戦争に向けて横須賀や葉山に海軍施設や陣地が設けられると、東京湾要塞地帯指定されていた葉山の日影茶屋では海軍の高級参謀の会議などがしばしば秘密内に開かれていたそうです。戦争が始まると日本軍が日影茶屋の裏山に弾薬庫として防空壕を掘るなど、頻繁に駐在することがありました。裏山の頂上には現在も砲台の跡が残り、生い茂る木々に囲まれて時を刻んでおります。戦後、進駐軍の管理下に置かれた弾薬庫には警備が立ち、今度はアメリカ軍が日影茶屋を利用する機会が多くあったそうです。
昭和後期、高度成長期を堺に自家用車が普及し、葉山は宿泊する保養地から、日帰りの行楽地へと変化していきます。この頃から宿泊の需要も少なくなり、昭和も終わりに近づいたころ旅館部門を休止し、伝統を守る日本料理屋として日影茶屋は生まれ変わります。
平成24年国の登録有形文化財に登録されました。
これまでに培った歴史と伝統を後世に残すべく、地域の新鮮な食材を使用したお料理を心ゆくまでお楽しみいただけるよう、あたたかなおもてなしとともに皆さまをお待ちしております。